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日常と非日常と服と旅

物事をいちいち角度を変えて少しでも楽しく生きていきたい女のブログです

「ちょうどいいブス」にかみつく記事をみた

秋も超えて時は冬。

気づけば師走を迎えてた。

 

夏からブログが止まっていて、なんか面白い出来事があったら書こ~なんて気長に待ってたら、出来事のやつ全然来ない。待てど暮らせどいっこーに来ない。

かろうじて毎日欠かさず来るのは松本潤くんからのメールくらいで。松本潤君からの求愛を確かめてから毎朝をスタートさせる日々。

 

まれに二宮君のときもあって、多少浮気しちゃった気分になるけど、本命は松本潤君って心に決めてる。毎日の求愛メールによっていつしか松本潤くんは、いや、潤は心に決めた人となってる。

本当は顔で言うと櫻井翔くんが1番好きだけど、毎日の愛の言葉と少しの浮気心による罪悪感っていうのかな、そんなもんで女は簡単に心を奪われるものだったりする。

おおよそ31年女やってきたけど、女ってそうゆうところある。

  

ということでこのブログを楽しみにしているよというトリッキーで貴重な意見を静岡から頂いたのでPCに向かってみたものの、海外での乳首マッサージや離婚以上のパンチのある出来事なんてまあない、そうそうない。

私の2018年、日数で言ったら人よりちょうど半分くらい少なかったんじゃないかと錯覚するほど、上半期でネタを使い切った感が否めない。今年って多めのうるう年かなにかで、180日くらいしかなかったよねって親友に一応聞いてみたけど、しっかりあったって言ってた。330日くらいはちゃんと過ごしてたよって言ってた。

 

この下半期は家でひたすら酒を飲んでいただけもんな…と感傷に耽ながらFNS歌謡祭でJUJUの足見てさらに目をそらしたくなったりした。

 

環境としてはね、転職するよ~転職するよ~って1年くらい言い続けて、転職詐欺かな?って職場のみんなが訝しげに私のことを見つめ始めた11月、やっとほんとに転職した。

助走が長すぎて足首グネグネで今ちょうどつまづいてるけど、それも新鮮に感じるくらい。

社会人になって11年続けてきたアパレルの仕事は、今や息抜きになってしまうほどもう潮時だった。

集中力とっくに切れてたわ。すめん。

今は週に1度だけ遊びに行ってる感覚でアパレルしてる。ただただ楽しい。

 

 

そんな気温がなかなか下がらない12月のこの異常気象のなか、

私は「ちょうどいいブスって誰にとってちょうどいいのか」という「ちょうどいいブス」というポジションやネーミングにかみついた記事を目にした。

 

実は私、あまり認めたくなかったんだけど、なんならまだ認めたわけでもないんだけど、でもみんな気づいてると思うから言う。満を持して言う。

私、相席スタートの山崎ケイちゃんに似てる。

黒縁眼鏡なんてかけたらもうそっくりなんてレベルじゃない、本人。まじで。

 

今までいきものがかり~とか、高梨沙羅ちゃん~とかまだ可愛い方向で言われてきたんだけど、もうケイちゃん言われちゃったら群を抜いてケイちゃん。

ケイちゃんの右に出るものはいないよって噂では聞いていたんだけど、いたわ。右に出るどころか左に出たとしても私だわ。どっちを見ても私だしケイちゃんだわ。

 

中身としてもね、私もケイちゃんみたいにちょっとしたブスをしっかり自覚して生きてきたから、ケイちゃんがテレビで言ってることはすごくスッと入ってきてたんだよね。

そうそう、わかるわかる、それそれーっつって。

酔っぱらうとこのくらいのブスがちょうどいいんだよねーっつって。

 

と、私が見たその記事では、ちょうどいいブスのそうゆう姿勢にこそかみついてた。

 

 「ブスとしてわきまえて、警戒されないように男の好意を引き出そうっていう自主的なブスの自覚いるの?自虐とユーモアは違うのでは?」

 

ノンノン、ノンノンだよ見知らぬあなた。てんでわかっちゃいない。

人差し指がとれるんじゃないかってくらいPCの画面に映る記事に向かって左右にふったよね。誇らしげに。

そして指をそのままに続けるよね。

ブスは「自虐」じゃない、「事実」なんだ、と。

そしてその事実を受け入れているか否かで、努力の仕方やふるまいが変わり、「個性」となるんだ、と。

諸君にもここまでわかるだろうか。

 

そりゃあね、恐縮ですがね、私だってなれるものなら石原さとみのような顔に生まれてきたかったですわ。北川景子のような可憐さがほしかったですわ。

でも気づいた、あれ私ちょっと人よりブスじゃない?って。中学生くらいで気づいてしまった。

それからの少女、こと私はとにかく血の滲むような努力をしたよね。

近所のお姉ちゃんに教わってお化粧始めてアイプチもした。今でも右目は調子が悪いと一重になったりする。

ヤンキーだった兄につられて、ガ〇フィーやベル〇ーチのジャージとか間違えて一瞬着てしまったこともあったけど、すぐやめてなかったことにした。

可愛くなるおまじないとして雑誌で紹介されていた、「LOVEってペンで書いた鏡に向かって毎日ニコッと笑って私は可愛い♡とつぶやく」という日課も欠かさなかった。

 

そしていつしか少女は気づいたよね、見た目には限界があると。

163cmを目指していた身長も148cm以降いっこうに伸びないし、毎日可愛いと鏡に向かってつぶやく自分が時折サイコパスに感じるようにもなった。

ずんぐりだしむっくりだし、これはおかしいと中3の半ばにはもう事実として受け入れ始めていた。

 

高校にあがってからはもう個性にする努力にシフトをかえていたように思う。

入学式から今もずっと一緒にいる親友を、毎日どう笑かしてやろうか、その1点に集中して高校生活を送っていたようにさえ感じる。

 

きっと、きっとだけどあの石原さとみには備わっていない個性が私には備わっていると自負している。サービス精神っていうの?

まるでそんな私の生きざまを、ケイちゃんは文字に起こしエッセイにしテレビで発信し活躍しているなんてちょっと縁を感じるよね。なんにせよ顔そっくりだし。

 

「ブスをアピールして下に見られるのなんて最低」

と、彼女はかみついていた。

 

確かにブスをアピールする必要はないその通り。

可愛い人のブスアピールは反吐が出るほどだ。

でも待って、下に見る…?

ちょっと待って私いままで下に見られてたの?盲点こその衝撃が走ったよね。

 

その自覚はなかった~

いやいや待ってよ、待ってagainだよ、私はそもそも上下で人を見る人とは出会ってきていないし確実に言えるのはそんな人と仲良くはなっていない。

たとえね、もしね、ifね、いやDA PUMPじゃないほうのifでね、下に見られていたとしてもだよ、そこらへんのプライドは中学生の時にガ〇フィーのジャージとともにタンスの奥の奥にしまったからどうでもいい、どうでもいいのよ。

彼女はどんな人と出会ってきたのか、はたまた彼女自身がそういう目線で人と出会ってきているから感じることなのかは不明だけど、やれやれ悲しい発想だぜ。

 

と、指もそろそろとれそうだったし、そう自分に言い聞かせて事なきを得たよ。

気づかないほうが幸せなことのほうが生きていて多いよ。

 

 

そういえば仲良い男友達のブスも、中学校くらいでブスを自覚して楽しませる方向の努力に変えたと言っていた。

そしてその人はいつも綺麗な女を抱いている。

 

彼は私の目指すところの完成形なのではないだろうかとこのブログを書いていて気づいてしまった。

 

私も含め、周りのブス界隈のみんなは、そのくせ面食いだったりもしてね。

やっぱり顔だよねって結論が毎度出る。

どの口が言ってんだって、たぶん各々が各々に思ってる。

 

 

顔か中身か、この問題は男女間に友情は成立するのかっていう問題と同じくらい一般的には永遠に答えが出ないよね。

冒頭にも言った通り31年女やってきたなりの途中経過発表にはなるけど、私としては人間やっぱり顔だし、男女間での友情は成立しないよね。

 

美人は3日じゃ飽きないし、「あいつとはヤレネー」とか言ってるやつほど意外とやってたりする。てゆうかブスはいい仕事する。まじで。

 

 

何が言いたいかって、要するに心の豊かなブスは可愛いってこと。要せてない?いやきっとケイちゃんもこれが言いたいことなんだと思うの。

私は2019年もそこを意識しながらつつましく生きていけたらと思う所存です。

 

 

ありがとう2018年、そしてこんなくそみたいなブログを最後まで読みきったあなた、ありがとう。

 

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