「ちょうどいいブス」にかみつく記事をみた
秋も超えて時は冬。
気づけば師走を迎えてた。
夏からブログが止まっていて、なんか面白い出来事があったら書こ~なんて気長に待ってたら、出来事のやつ全然来ない。待てど暮らせどいっこーに来ない。
かろうじて毎日欠かさず来るのは松本潤くんからのメールくらいで。松本潤君からの求愛を確かめてから毎朝をスタートさせる日々。
まれに二宮君のときもあって、多少浮気しちゃった気分になるけど、本命は松本潤君って心に決めてる。毎日の求愛メールによっていつしか松本潤くんは、いや、潤は心に決めた人となってる。
本当は顔で言うと櫻井翔くんが1番好きだけど、毎日の愛の言葉と少しの浮気心による罪悪感っていうのかな、そんなもんで女は簡単に心を奪われるものだったりする。
おおよそ31年女やってきたけど、女ってそうゆうところある。
ということでこのブログを楽しみにしているよというトリッキーで貴重な意見を静岡から頂いたのでPCに向かってみたものの、海外での乳首マッサージや離婚以上のパンチのある出来事なんてまあない、そうそうない。
私の2018年、日数で言ったら人よりちょうど半分くらい少なかったんじゃないかと錯覚するほど、上半期でネタを使い切った感が否めない。今年って多めのうるう年かなにかで、180日くらいしかなかったよねって親友に一応聞いてみたけど、しっかりあったって言ってた。330日くらいはちゃんと過ごしてたよって言ってた。
この下半期は家でひたすら酒を飲んでいただけもんな…と感傷に耽ながらFNS歌謡祭でJUJUの足見てさらに目をそらしたくなったりした。
環境としてはね、転職するよ~転職するよ~って1年くらい言い続けて、転職詐欺かな?って職場のみんなが訝しげに私のことを見つめ始めた11月、やっとほんとに転職した。
助走が長すぎて足首グネグネで今ちょうどつまづいてるけど、それも新鮮に感じるくらい。
社会人になって11年続けてきたアパレルの仕事は、今や息抜きになってしまうほどもう潮時だった。
集中力とっくに切れてたわ。すめん。
今は週に1度だけ遊びに行ってる感覚でアパレルしてる。ただただ楽しい。
そんな気温がなかなか下がらない12月のこの異常気象のなか、
私は「ちょうどいいブスって誰にとってちょうどいいのか」という「ちょうどいいブス」というポジションやネーミングにかみついた記事を目にした。
実は私、あまり認めたくなかったんだけど、なんならまだ認めたわけでもないんだけど、でもみんな気づいてると思うから言う。満を持して言う。
私、相席スタートの山崎ケイちゃんに似てる。
黒縁眼鏡なんてかけたらもうそっくりなんてレベルじゃない、本人。まじで。
今までいきものがかり~とか、高梨沙羅ちゃん~とかまだ可愛い方向で言われてきたんだけど、もうケイちゃん言われちゃったら群を抜いてケイちゃん。
ケイちゃんの右に出るものはいないよって噂では聞いていたんだけど、いたわ。右に出るどころか左に出たとしても私だわ。どっちを見ても私だしケイちゃんだわ。
中身としてもね、私もケイちゃんみたいにちょっとしたブスをしっかり自覚して生きてきたから、ケイちゃんがテレビで言ってることはすごくスッと入ってきてたんだよね。
そうそう、わかるわかる、それそれーっつって。
酔っぱらうとこのくらいのブスがちょうどいいんだよねーっつって。
と、私が見たその記事では、ちょうどいいブスのそうゆう姿勢にこそかみついてた。
「ブスとしてわきまえて、警戒されないように男の好意を引き出そうっていう自主的なブスの自覚いるの?自虐とユーモアは違うのでは?」
ノンノン、ノンノンだよ見知らぬあなた。てんでわかっちゃいない。
人差し指がとれるんじゃないかってくらいPCの画面に映る記事に向かって左右にふったよね。誇らしげに。
そして指をそのままに続けるよね。
ブスは「自虐」じゃない、「事実」なんだ、と。
そしてその事実を受け入れているか否かで、努力の仕方やふるまいが変わり、「個性」となるんだ、と。
諸君にもここまでわかるだろうか。
そりゃあね、恐縮ですがね、私だってなれるものなら石原さとみのような顔に生まれてきたかったですわ。北川景子のような可憐さがほしかったですわ。
でも気づいた、あれ私ちょっと人よりブスじゃない?って。中学生くらいで気づいてしまった。
それからの少女、こと私はとにかく血の滲むような努力をしたよね。
近所のお姉ちゃんに教わってお化粧始めてアイプチもした。今でも右目は調子が悪いと一重になったりする。
ヤンキーだった兄につられて、ガ〇フィーやベル〇ーチのジャージとか間違えて一瞬着てしまったこともあったけど、すぐやめてなかったことにした。
可愛くなるおまじないとして雑誌で紹介されていた、「LOVEってペンで書いた鏡に向かって毎日ニコッと笑って私は可愛い♡とつぶやく」という日課も欠かさなかった。
そしていつしか少女は気づいたよね、見た目には限界があると。
163cmを目指していた身長も148cm以降いっこうに伸びないし、毎日可愛いと鏡に向かってつぶやく自分が時折サイコパスに感じるようにもなった。
ずんぐりだしむっくりだし、これはおかしいと中3の半ばにはもう事実として受け入れ始めていた。
高校にあがってからはもう個性にする努力にシフトをかえていたように思う。
入学式から今もずっと一緒にいる親友を、毎日どう笑かしてやろうか、その1点に集中して高校生活を送っていたようにさえ感じる。
きっと、きっとだけどあの石原さとみには備わっていない個性が私には備わっていると自負している。サービス精神っていうの?
まるでそんな私の生きざまを、ケイちゃんは文字に起こしエッセイにしテレビで発信し活躍しているなんてちょっと縁を感じるよね。なんにせよ顔そっくりだし。
「ブスをアピールして下に見られるのなんて最低」
と、彼女はかみついていた。
確かにブスをアピールする必要はないその通り。
可愛い人のブスアピールは反吐が出るほどだ。
でも待って、下に見る…?
ちょっと待って私いままで下に見られてたの?盲点こその衝撃が走ったよね。
その自覚はなかった~
いやいや待ってよ、待ってagainだよ、私はそもそも上下で人を見る人とは出会ってきていないし確実に言えるのはそんな人と仲良くはなっていない。
たとえね、もしね、ifね、いやDA PUMPじゃないほうのifでね、下に見られていたとしてもだよ、そこらへんのプライドは中学生の時にガ〇フィーのジャージとともにタンスの奥の奥にしまったからどうでもいい、どうでもいいのよ。
彼女はどんな人と出会ってきたのか、はたまた彼女自身がそういう目線で人と出会ってきているから感じることなのかは不明だけど、やれやれ悲しい発想だぜ。
と、指もそろそろとれそうだったし、そう自分に言い聞かせて事なきを得たよ。
気づかないほうが幸せなことのほうが生きていて多いよ。
そういえば仲良い男友達のブスも、中学校くらいでブスを自覚して楽しませる方向の努力に変えたと言っていた。
そしてその人はいつも綺麗な女を抱いている。
彼は私の目指すところの完成形なのではないだろうかとこのブログを書いていて気づいてしまった。
私も含め、周りのブス界隈のみんなは、そのくせ面食いだったりもしてね。
やっぱり顔だよねって結論が毎度出る。
どの口が言ってんだって、たぶん各々が各々に思ってる。
顔か中身か、この問題は男女間に友情は成立するのかっていう問題と同じくらい一般的には永遠に答えが出ないよね。
冒頭にも言った通り31年女やってきたなりの途中経過発表にはなるけど、私としては人間やっぱり顔だし、男女間での友情は成立しないよね。
美人は3日じゃ飽きないし、「あいつとはヤレネー」とか言ってるやつほど意外とやってたりする。てゆうかブスはいい仕事する。まじで。
何が言いたいかって、要するに心の豊かなブスは可愛いってこと。要せてない?いやきっとケイちゃんもこれが言いたいことなんだと思うの。
私は2019年もそこを意識しながらつつましく生きていけたらと思う所存です。
ありがとう2018年、そしてこんなくそみたいなブログを最後まで読みきったあなた、ありがとう。
人生を大げさに捉えすぎた
今週のお題「#平成最後の夏」という私にはとてもHOTなお題だったので乗ってみることにした。
平成最後の夏。
毎年毎年、その年その季節その日その時間というものは1度きりしかないはずなのに、更に夏というだけで特別視されることも相まってなぜか今年は妙な気分の大人が多い気がしている。
もちろん私もそれにどっぷり含まれる。
合コン三昧の人妻
不倫をする男女
DV男にハマる女30オーバー
メンヘラ外国人と恋に落ちた女
スポーツ選手相手に1晩だけ過ごす処女
タイの島で恋をした少年が18歳だったメンバー
行きつけの居酒屋での合コンで男性に股間を出させて出禁になる女
それぞれの平成最後の夏がパワーワード満載。
こっそりディープでちょっぴりへヴィーな夏をみんなが過ごしている。
かく言う私も平凡で穏やかな結婚生活に右手人差し指で華麗にピリオドを打ち、
ちょっとおセンチになって控えめにタトゥーを入れた。
とはいえ私ったら肝っ玉がBB弾程度なもので、控えめなタトゥーでさえ痛みにビビってたけど、加藤ミリヤとか聴いてみちゃうくらいにはおセンチMAXだったから割と耐えられた。あの時の心の痛みに比べれば…なんて思ってたけど痛みを実際に体感するのとはやっぱりちょっと違った。耐えたけど痛いし、普通に痛いし。
ちなみに清水将太なんかも聴いてみたけど、基本的にメンヘラではないからしっくりこなくて聴くのをやめた。スリップノットとか聴いてるほうがよっぽどよかった。
この夏を振り返る日にはどんな日常を送っているだろう。
酒を片手に友人たちと語らう日を楽しみに明日も生きていくけど。
この夏は仕事面でも変化があって、ドキドキわくわくソワソワの連続。
自分で始めたしがない小さなセレクトショップ。
いくら素敵な商品を仕入れても、人目に触れないと意味がないネット販売はインスタ以外に打ち出す術を私は知らなんだ。
インスタの反応はというと好評で自分のバイイングに少し自信も持てるようになったけど、確実な売り上げにするには全てにおいて何も足りていないところ。
引っ越しも終わってひと段落したところで、さあまた頑張ってみようかと本腰を入れようと打ち出し方を考えていたところにウェブ関係の会社からなんと直接のお電話が。
一緒にやってみないかとお声がかかって半分モニターのようなことをさせて頂けそうな機会が降ってきた。え、なんこれ。
仕事面を含むすべてのタイミングがおかしいくらいに私に合わせにきている。
疑うことを知らないのは良いことなのか悪いことなのか。
私はまだ痛い目に合っていないからその判断ができない。
ならば痛い目に合ってから反省すればいいじゃないか、と根っからのポジティブ精神が私の背中を自らの利き手でグイグイ押してくる。
自分の浅はかさがこわい、でも嫌いじゃない。
まだ確実なお返事はしていないけど、しっかり考えて人生まるごと楽しめたらいいなと思っている。
離婚してからよく思う。
「人生、面白くなって参りました」
硬く固く考えていた人生観を打ち破る出会いや出来事が多くて、今の私はムテキング。
人生を大げさに捉えすぎていた節があったようにさえ今は思う。
「今が楽しければいいという若者が多い」と世間が批判していた時代にちょうど若者だった私は、それの何が悪いのかわからなくて
「今が楽しいを毎日続ければ来年も再来年も老後までもずーっと楽しいじゃないか!うるせーぞしっかりした大人!」と阿呆みたいなことを豪語していたのを近頃思い出した。
そして気づかないうちに、その歯向かっていた先のしっかりとした大人になろうと20代後半を過ごしていたけど、結局自分の芯がくそみたいに少年だから無理だった。
結婚は中身だという定義に沿って選んだ相手とは離婚するし、今となっては生粋の面食いが暴れ出している。
やっぱり私はふざけていて、しっかりした大人みたいにしっかりできなかった。
そのギャップに悩んだりしたけど、離婚を機に全部やめてみた。30歳、平成最後の夏。
生きるのが久々に嫌になって消えたくなった日もあったし、家族や友人の温かさに幸せの涙が止まらない日もあった。
もう一度言おう。
「人生、面白くなって参りました」
面白ければいい、笑えればいいの。
赤裸々告白
たかが2年、されど2年。
宇都宮の餃子のキャッチフレーズみたいに、私の結婚生活を振り返る。
一緒に住んで3年半、数字にするとひとマスにおさまってしまう短い結婚生活に私は終止符を打つ。
健やかで穏やかな日々だった。
「おかげさま」という言葉が絶えない日常だったはずなのに、私はどんどん彼に、自分に、世間に負けていった。
昔からの友達で、誰もが認める優しい人。
周りからもすごく大事にされていて、付き合うとなると傷つけちゃいけない=責任(結婚)だと思っていた。
そしてその通りに、付き合ってすぐ結婚を決めた。すべてがトントンと決まっていった。
両親が安心するような人。
友達や周りの人もみんな安心するような人。
きっとこれが正解というものなんだと思った。
それは別れることが決まった今でも、頭の片隅には引っかかっているふた文字だ。
そんな人を選んだんだから、何か揉め事が起きても私の感覚が不正解なんだと思った。
彼はいつも正しいから、私のこの感覚はいけないことだと思ってた。
正しい彼についての愚痴や不満を、周りにこぼすなんて出来なかった。
「お前が悪い」この言葉を誰よりも自分に思っていたから、第三者から改めて言われると崩れてしまいそうだった。
まだ子供がいないからと「恋人」気分でいたかった浅はかで幼稚な私の気持ちと、結婚した瞬間からすっかり「家族」になってしまった彼との溝は、2年という月日では十分すぎるほど深まっていってしまった。
くっつくことすら嫌がられて、手を繋ぎに握ってみても数秒で振り払われる。
ただいま、おかえりって笑顔で声をかけても目を合わせてくれない。
あのね、今日ね、って話しても私の話に興味がない。興味ないの?って聞いて興味ないと言われたことだってあった。
帰ってきて部屋にいても彼は離れたところでずっとオンラインゲームをしていて、その仲間とのLINEの音が鳴るごとに虚しさが増す。
あくる日の夜は性欲処理機のような感覚に陥った。
これが彼のいう「家族」なら、私には少し寂しく感じてた。
それでも仲が悪いわけじゃなくて、それが彼の「家族」としての「普通」なだけで、私の感覚とズレがあることなんてよくある話と頭では理解していた。
どうにか私もその彼の「普通」の感覚に近づいて、この寂しさを埋めようとした。同じスタンスなら、きっと大丈夫になると思った。
そうしてるうちに、私は彼から逃げていた。
子供が欲しいという彼の言葉に、必要以上にプレッシャーを感じて逃げてきた。
結婚当初子供がほしかった私には考えられないくらい、日が経つにつれてその憧れが引き潮のようにひいていった。
一緒にいたって会話も笑顔もない冷たい部屋から逃げて、友達と遊ぶことや仕事をすることに夢中になってしまった。
私の存在意義を、家ではないどこかへ求めてしまっていた。
そんな私に、「今はお互い好きにしていいけど、子供が産まれたら遊びや旅行はありえない。仕事も抑えるのが当たり前。」と言う彼の正しい感覚に応えられる自信が日々無くなっていった。
子育て楽しそう、なんて微塵も思えなかった。
彼はいつも正しい。
彼を含む他の正しい感覚を持つ周り人からの
当たり前やありえない、こうすべきだという個人の感覚を、一般論や世間の常識を、周りのすべての人から武器のように振りかざされているようでますます私は逃げるばかりだった。
逃げ癖がついた。
そんな自分も許せなかった。
私は彼といる私が嫌いになっていた。
殺人や犯罪以外の感覚に、そもそも正解なんてあるんだろうか。
そもそも誰の正解を出そうとして私は結婚したんだろうか。
私は間違えてもいいから、私の感覚に従いたい。
湧き出る楽しいや嬉しいを大事にしたい。
そう思えるまで2年かかった。
特に仲良くない人ほど首を突っ込んできてとやかく聞いては言ってくるけど、そしてそうゆう人ほど一般論を武器にしてお前が悪いと言ってくるけど、本人同士と大事な周りの数人がわかってくれていれば何を言われてもいいと思えてきた。
これは私と彼の問題で、2人でいた時間は2人にしかわからないわけだから、他人にわかってもらえるはずもない。
お互い嫌いになったわけじゃない。
今年中に子供が欲しい彼と、いつ欲しくなれるかわからない私の話し合いの結果。
贅沢な悩みだと怒る人もいるだろう。
それでも私のつま先からつむじまで全身でいっぱいに考え抜いて出た答えがこれだった。彼も同様に。
引っ越すまで今もまだ一緒に住んでいて、情が溢れる。
寂しかったことを話していたからか、離婚が決まってから彼は私にくっついてくるようになった。手も握ってきた。
涙が留まるところ知らずで勝手に出てくるけど、もう遅いと笑う。
誰よりも幸せになってくれ。
私よりも早く再婚して、可愛い赤ちゃんを見せてくれ。
きっとすごく優しくて頼もしい父親になるだろうから、次は私よりも家庭的でふざけてない女性と一緒になってくれ。海外旅行に1人で行ってタイ人に乳首いじられてネタにするような女はもうやめておけ。
私は私らしくふざけて生きていくよ。
ハプニング満載な最高の人生を歩んでいくよ。
その中で私よりもふざけたような男性と次は一緒になれたらいいなと夢見ていくよ。
これ以上ない充実した幸せな日々をありがとう。
すべて彼のおかげだと心から感謝しています。
顔は好みじゃなかったけど、最高に良い男と結婚できたことは誇りに思う。
甘ったれた女でごめんな。
ハプニングマン
生きていればハプニングは付きもの。
付きものなんてもんじゃない、それこそが人生といっても過言ではない。
人生とはハプニング。ハプニングこそ、人生。
特に私といえばこの人生、計画通りにいった試しがない。きっとあなたもそうだろう?
ハプニングを経験、そしてそれを乗り越えることで人としての厚みや深みが増していくんじゃないだろうか?って割と本気で信じて生きてきた。
もちろん、経験を実になるように自らが感じ考えていかないと意味がないんだけど。
出来てるか出来てないかは置いといて。
ハプニング万歳。ハプニングどんと来い。
「Mrs.ハプニング」最近は心の中でそう呼び始めた友人とお酒を飲んでいた。
楽しくなっちゃったのかその友人、ベロベロのドロドロ。
焦点すら合わなくなっていた。
いいよいいよどうにでもなれ、そんなMrs.ハプニングを愛して止まない私は特に行動を制すことはしない。そんなハプニング女王をアテに酒を呑んでいたほど楽しんでいた。
ついにMrs.ハプニング、消える。
さすが、と言うほどに酔っ払っていた彼女はいつのまにか消え去っていた。
どこ行ったんだあの野郎は。
一応さ、連れとしては心配するじゃない。
一応よ。連絡もつかないし、帰る手段もない。
大人だから大丈夫だろうけど、一応。
2時間くらい探してやっと連絡がついた。
ずいぶん遠くまで歩いていたようだ。
外はもう明るい。なんならピッカピカの快晴。
いい、いいの、わかってる。2人の人妻と独身三十路女3人が遊んでる時間じゃないことくらいわかってる。みなまで言うな。言わんでくれ。
輝きだした朝日に責められるように、それに気づかないように、私たちはMrs.ハプニングを責めた。
てめえあとでぶっ飛ばすぞ
その朝のすっきりとした空のように大きな愛を込めて拳で伝えた。
最近、そんなクズみたいな夜が多い。
ワールドカップだからかな。
ワールドカップが来るたびに、私は2018夏を思い出すんだろうなって出来事がたくさんあっていいんだか悪いんだか。
ハプニングは人生を豊かにするね。
もはやハプニング待ちと言っても過言ではない私は、ちょっと今までやったことがないことに挑戦しようと思う。
批判もたくさんあるだろうけど、批判ばかり言う人の言葉よりも生きることに一生懸命な人や挑戦し続ける人の言葉のほうが身体に入れていきたい節があるので、気にしないぜ。
私的働き方改革がすごい進んでる。
お金稼ぐってしんどくて楽しい。
Mかよ。Mだよ。
最近ふざけた人生に拍車がかかってるけど、悔いのないように生きてこうぜ。
何より私にはふざけた友人が周りにいて、大事に思う。私とは正反対に真面目な旦那に感謝もしてる。謝罪もしてるけど。
そして自分が自分の1番の味方であれ、フレーフレー私!
楽しんでいこうぜー
梅雨かよ
こんにちは。
最近はバタバタのグズグズで、なかなかブログに文字を起こせずにいたら梅雨になってたよ。
先月までは光栄なことに一緒に働こうと言ってくださる方がたくさんいて、気づけば5足のわらじを履いてたよ。
5足ってな。ありがたいことですな。
身体って1つしかねえのなーなんて気づいて、そのうちの2足を渋々手放しました。
渋々お世話になりました。
お給料を払うって、まじすごい。すげーよね世の中の社長さんまじコップンカー。
先月は愛して止まない友人の誕生日を祝わせてもらったり、気づけば久々だった後輩ちゃんと会ったり、いわゆる充実かましてた。
2人を含め、周りの仲良い友人は仕事人間かつプライベートも楽しんでいて、とっても魅力的でちょっぴりこじらせてる。
器用なようですごく不器用、すごく愛らしい人たち。
こじらせてるくらいが味があっていいよね。
私もなかなかこじらせてるんだとは思うけど、なんだか奇跡的に貰い手が見つかった。
しかしながら人は無い物ねだりなもので、よく未婚ていいなーって思ったりする。自由で、何も気にしなくてよくて、最高。
そんでそれと同じくらいの頻度で結婚ていいなーって思ったりもする。毎日帰れば友人と化した旦那がいるし、絶対的味方がいるってやっぱりいい、最高。
何事も過ごし方捉え方次第ということでしょうかね。知らんけど。
そんな私、6月頭に名古屋行って来たでや。
初めての名古屋、久々の友人にウキウキワクワク。
無事に集合!
名鉄名古屋駅のななちゃん!でけー
ヤーマンすぎるさとるさんのお家に女子3人で泊まらせて頂いた。
もうね、部屋がさすがのアジアンラバー。
そこはまさに異国。あれ?タイかな?ウィークエンドマーケット来ちゃったかな?って思った。
そのくらいの物の多さ。さとるさんの仕事柄納得なんだけど。
お土産を部屋の中で済ませられるくらいの商品量、見渡す限りの像のインテリア、部屋に広がるアジアの匂い。ホッとする。
飲み会帰りに男性の部屋にあがって出るビッチの第一声のごとく「初めて来たのになんか落ち着くー」って口からこぼれたほど。
部屋にはわんちゃんが居てさ、そりゃーもう可愛い可愛いわんちゃんがさ、足とか伸ばすと執拗に腰を振り続けるのよ。
こっちが恥ずかしくなるくらい必死でヘコヘコ。
そろそろ昇天かな?ってくらいずーっとヘコヘコ。
久々に再会して1時間も経たない男女がそれを目の当たりにすると、当たり前だけど変な空気にはなるよね。
しかしながらその空間(部屋)がほぼアジアだったからか、不思議と全員爆笑してた。いや、笑うしかなかったのかもしれない。私も含め。
そんな始まりの名古屋プチtrip。
本当は1泊の予定だったけど、目的のタイフェスの流れで2泊。
泊まった友人のうちの1人がこの間まで世界Uターンの旅してて、各国で出会って仲良くなった名古屋住みのバックパッカーや旅行者をタイフェスに呼びまくって少し人数が増えた。
その後みんなで飲みに行ってさらにちょっと増えたり減ったり。
自分が人見知りなことなんて忘れちゃうほど全員フランクですっかり楽しくなっちゃった私は、調子に乗ってタイでの乳首マッサージの話をしてみた。私にとって、それは一種の賭けだった。
刺激的に世界を飛び回るこの人たちは笑ってくれるだろうか、この話は世界に通ずるのだろうか、と。
そういえば先日友人に「私だったらその話を男性にするの勇気いる…簡単にヤレそうって思われるとか気にしちゃう」って言われて、そういえばそうじゃんって気づいた。
それでも、それよりも、圧倒的に笑いの共有をとるんだけど。
なんならヤレそうって思われてもいいんだけど。いっそのことヤッてくれたっていいんだけど。
そんな当たり前な発想にならなかった私は、そしてそう気づいた後も笑かしたい気持ちが勝ってしまう私は、もしかしたら女性として大きなものが欠けてるのかもしれない。と、考えたところで考えるのをやめた。
自分で大袈裟にこれまでの人生を否定してしまいそうでやめた。
面白ければOK、それが私だ。
世界を飛び回るバックパッカーたちの反応はというと、なんとすごく笑ってくれたし食いついてくれた。よかった、世界に通用した。
みんなそれぞれに個性が強くて私の渾身のネタ披露の最中にどんどん話を割って入ってくるけど、最後まで熱心に聞こうとしてくれた人が1人だけいた。
ド関西人のだいちゃん。
彼のおかげで最後の「NICEBODY!」まで辿り着くことができた。
そして彼が1番面白いと言って笑ってくれた。
この場を借りてありがとう、だいちゃん。
藤原竜也とフルポン村上のハーフみたいなイカした顔して最高だったぜ。
そんなこんなで昨日はマイスイートあーちゃんとサラッと早めに帰るはずが遅くまで飲んでしまって反省。毎回反省してる気がするぜ。くそ!楽しすぎ!!
金箔丸呑み!!
運命の人
連休もラストスパートの土曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今年は人生で初めてゴールデンにウィークを楽しんでいる。強気に実家でのんびりかましてる。
強気ついでにブログ書くぞっつってPC開いた。
そんな今日はタイトルこそ乙女だけど、内容自体は乙女を超えて、甘酸っぱいお話を少々かまそうと思う。
「知ってる?運命の人って2人いるんだって」
最近そんな言葉をネット上で見かけた。今思えばそれを見かけた故、余計に乙女な話に敏感だったのかなって思うけど。
まさにGWのいい頃合いのあたりに、幼馴染の小西くんを含む、小学生のころの同郷の友人数名と担任の先生とで集まって飲む機会があった。
数えてみたら卒業して18年。そんなにも経つのに、特に印象的だった担任の先生であり、仲の良いクラスだったこともあり、それはもうとても楽しみにしてたのよ。
スムーズに呑み会は始まったし、案の定出だしからもう楽しいわけ。
みんなで先生と同じ日本酒を頼んで、お猪口でまた乾杯。大人になったなあなんて語り合ったりしてさ。
順調にお酒も進み、いい感じになっている私たちは思い出話が止まらない。
それぞれの思い出を擦り合わせてはまた新発見があったり、先生の視点からの話が聞けたり、とにかく楽しい。楽しい楽しい楽しい。
「○○くんて○○ちゃんのことずっと好きだったよね!」
誰かのこの言葉を皮切りに、話はあの頃の恋愛模様へ。
そこで私、ハッと気づいた。
「私、Aくんと両想いだったよね?」
気づいたと同時にもう口に出てた。
そしてそのAくんは、今まさに隣に座っている。なんということだ。
とんでもなく真面目なAくん、昔から成績優秀で高校は県内の進学校へ。ふふ、シャトルランがとにかく得意だったよね。顔真っ赤にしてさ。
小学生界隈の小さな世間ではボキャブラ天国が最高に流行ってて、ちょっとダサいけど"ボキャ天"なんて略したりしてた。
あの人たちはまだ海砂利水魚だったし、スマイリーキクチはまだネットで犯罪者扱いされてなかった。X-GUNの西尾はまだDJになってなかったしネプチューンももちろんまだまだ若手だったよね。
そう、いわゆるパイレーツが全盛期のあの頃に、秀才Aくんとボキャブラ天国の話でいつも盛り上がり、自然と彼に恋をしていったのを一気に思い出した。
アガるテンション、それはもう自分自身止められるものではなかった。
思い出の甘酸っぱい1ピースを見つけた私は、パズルの答え合わせがしたくて仕方がなくなっていた。
今隣にいるAくんは、あの頃に両想いだったことを物凄く恥ずかしそうに、そして静かに「…うん」と認めてくれた。
両想いという子供ながらのふたりの空間は、どれほどに純粋なものだったのだろう。今では毛頭想像もつかない。
でもさ、その子供の「両想い」ってば、すっごく曖昧。
いつ終わったの?お互い告白とかしたの?
そのあたり全然記憶になくて、Aくんにそのまま聞いた。
「おいうそだろ覚えてないのかよ…」
こんな反応だったと思う。ちょっと私引かれてた、酔っ払いながらにそれはしっかり感じてた。
あれ?答え合わせどころか、私ってば回答権すらないの?
とにかく私の記憶には両想いだったという記憶しかなかった。
彼曰く、私告白してもらってたらしい。まじか。
私たちの教室の向かいが図書室で、図書室の奥には6畳くらいのちょったした司書室があった。そういえば西陽がさすとすごくキラキラして室内中が綺麗だったなあ。
そこでよくみんなでコックリさんしてたんだけど、そのコックリさんをしてないレアな日に、そこで好きな人を教えるという体で2人になったという。
好きな人誰だよー教えろよーってよくやるよね小学生。
たぶんそれやってたんだと思う。
なかなか照れて言わなかったAくん。
そのころの私は彼の気持ちに気付いてたのか気付いてなかったのかも忘れちゃったけど、絶対ドキドキしてただろうになあ。
「最初の文字は[お]だよ」
彼はそう言ったらしい。
…お?
そこまで聞いた30歳の今の私は、
なんで?は?私[も]だけど?
って言った。そこにいる幼馴染の小西くんも同じ反応だった。
しかし私と小西くん以外の先生を含めた全員は違った。すぐ気づいた。
察しが良いで有名な私は、この時点で察せなかったことが悔やまれる。
またAくん曰く、12歳の私も今と同じ反応だったらしい。
彼は続ける
「次は[ま]だよ」
…おま?お…ま…?[おまえ]?
お前ってこと??!
気づく私と小西くん。
すげえいいじゃんAくん!その言い回し小学生にしてすげえいいじゃん!ラブじゃん!
興奮する私。思わずAくんの肩を掴みながら褒めたたえてしまう。
きっとその時の私もグッと来てただろう。
しかし現実の12歳の私は何を思ったのか、「は?おまる?何言ってんの?便所?よくわかんね」
っつって話が終わってしまったそう。
いやあほんと、まじで残念極まりない。
あー私のこの残念具合って小学生から兼ね備えてたんだーって、年季入ってんだーって知ったよ。
そんな限りなくマイナスに近い0点の返しをした私も、その告白のようなものをすっかり忘れていた私も、まとめてごめんAくん。
最後に「俺の初恋返せ…」って小さな声で言ってたの、聞き逃さなかったよ。
そんな甘酸っぱい彼の初恋の話。
ちなみに私の初恋はそこにいる幼馴染の小西くん。
幼稚園から4年生までずっと一途に好きだった。お母さんにも教えてあげてた。
5年生で久々に同じクラスになって、あちげーなっつって一瞬で好きじゃなくなったのを覚えてる。お母さんにもすぐに報告した。
今でも仲の良いお友達。
そんな小西くんと今夜は中学生の頃のいつものメンバーで集まるのだ。
今日も楽しい夜になるぞ。
行ってきまーす。
3年くらい前の小西くんと私を添えて。
ちなみに妹はアイドル級の可愛さ。どうした小西。
ただの旅記3
Wi-Fiが使えない2日目の朝の9時。
二段ベッドの上の人のささいな動作音で目が覚めた。無論、眠りは浅い。
まだ日本人には人見知り全開だけど、握りこぶしくらいの勇気を振り絞って
「おは、おはようございます」
「あーおはよーございまーす!夜中に来たんですかー?気づかなかったー!」
「おはようございまーす」
思いのほかみんな気さく。ひとまず安心。
挨拶ついでに勢いでWi-Fiについて相談してみた。使えねーんだけどみんなどーしてんの?的なこと聞いた。
「え、そもそもなぜWi-Fi?スマホにSIMカード入れる話じゃなくて?ポケットWi-Fi?え、なに言ってんの?w」
あれ、この人たちタイ人かな?ってくらい説明しても説明しても話が噛み合わない。
逆に彼女たちからもこいつタイ人かな?って思われてたに違いない。
日本語を巧みに操るで有名な私の華麗なる説明でさえ、Wi-Fiを使って海外でネットを使う意味がわからなかったそうで。
私に関しては、友人と旅行するときは必ずWi-FiにSIMカード入れて2人で共有するのがマストだったから、それ以外を知らなかった私と、スマホ自体にSIMカードを入れ替える術しか知らなかった彼女たちとの、初対面にして初めての戦争だった。
とにかく笑われたよ。
開始のゴングが鳴ったと思われる瞬間から30秒ほどで鮮やかに敗戦を認めた私はとにかく聞いたし教わった。SIMロック解除の方法を。
ソフトバンクでよかった。他キャリアだったら店舗に行かなきゃ解除できないらしいけど、ソフトバンクだけはネットでもできた。セーフ。
なんだかんだ親身になって教えてくれたバックパッカーのみなさん。旅慣れしているみなさんはそもそもSIMカードとか使わないらしい。
ネットなくてもどーにかなるっしょって。
つえーっすね。私はこえーっすわ。
あとはコンビニとかで売ってるSIMカードを買って、iPhoneに入れれば完了だぜ!
ここはカオサン通りの近く!どうにでもならあ!!
そのころには時刻は午前11時。
ネット環境もどうにかなりそうだし、この日は王宮へ行くことをマストとしていた私はお礼の言葉も早々にゲストハウスを出発した。
そしてゲストハウスを一歩出て気づく。
地理がサッパリわからない。
この近くに泊まったことないし、カオサン通りがどの方角かも王宮がどっちなのかもわからない。
そのころはマップスミーの存在も知らない無知な私は、ネットがないのでマップも見れず、あたふた。
とりあえず腹減ってたからセブンに寄って軽食。安定のホットサンド。
セブンの店員さんも心なしかこわい、睨んでくる。絶対気のせいだけど。
ひとり旅での孤独感を2日目にして早くも味わったときの顔がこちら。
希望のかけらも見えなかった。
これから何が始まるんだと。
なんとか見覚えのある道に出て、このまま歩き続けてれば王宮着けるんじゃね?と思い歩くこと1時間半、見事に熱中症になる。
ふつうにトゥクトゥク使えばよかった。
39度の!とろけそうな日!って昔懐かしい曲が頭の中で流れつつ私はというとすでにとろけていた。
だって本当に現地は39度。おかげで本当にセンチメンタル。
まじで死ぬかと思った。
ふらふらになりながらも団体チャイニーズについて行き無事に到着。
こんなダメージデニムを履いてしまっていた私は入り口ではじかれ、
巻きスカートを100Bで購入。(300円くらい)
巻きスカートを巻いたことがなくてヘラヘラ、さらに熱中症でフラフラしてたら、入り口で私をはじいた女性が手招きしてササッと巻いてくれた。
特に笑顔でもなく、特に親切ぶるわけでもなく、困った人がいたら手を差し伸べるのが彼らの普通の感覚。普通にやってくれんの。
私はタイ人がすごく好き。リスペクト。ラブ。
ただこのスカートの色はちょっとバッドチョイスじゃない?もっと可愛い柄とかあったじゃん。なんでよ。
そんなことを日本語で伝えつつ渾身のサンキューをした。
その後も無事に参拝完了。
心がやっと落ち着いた。
それからあの事件。乳首マッサージ事件。
旅の最中に書きたくなるような事件があって、持ってんな〜と自画自賛したよ。
詳しくは以前のブログをご覧ください。
なかなか進まない旅ブログだなー